2015年08月13日

可愛がられて



 大学を卒業し、東邦製紙に入社するまでの都合六年間を、一樹はこの家ですごした。彼の部屋と雪江の部屋は二階の南側、狭い廊下をはさんで向き合っており、妹の部屋に友達が遊びに来たりすると、かしましい話し声が、彼の部屋までよく聞こえてきたものだった。
 彼と雪江とは、九歳離れている。妹は両親にとっても遅く恵まれた子供で、しかも欲しくてたまらなかった女の子だったから、赤ん坊のころからそれこそ韓國 午餐肉なめるように育った。年齢差がもう少し狭かったなら、一樹はいくぶん、ひがみっぽい兄に育ちあがってしまったかもしれない。
 彼が九歳の冬に、ぽんと生まれてきた妹。当時の彼にはまだ、赤ん坊がどこから来るのかということに関する正確な知識はなかったけれど、生まれてきた赤ん坊が、きわめて手のかかる存在だということは、すぐにわかるようになった。夜中でも泣くし、おしめ換えは大変だ。雪江を風呂に入れるなどといったら父も母も大騒ぎだし、おっぱいを飲んだあとげっぷをしないなどという程度のことにでも、母は心配をする。彼が食卓でげっぷをすると、「行儀が悪い」と怒るくせに。
 赤ん坊の雪江は寝てばかりいた。一樹が学校から帰ってくると寝ているし、ご飯を食べているときも寝ているし、夜寝る前も寝ていて、朝起きてもまた寝ている。
「なんでこんなに寝てばっかりいんの?」
 すると母は、眠るのが赤ん坊の仕事だと言った。
「赤ん坊っていいなあ」
「バカなこと言ってるんじゃないの」と、母は笑った。「眠ってはいても、まわ減副乳りの音とか話し声とか、ちゃんと聴いてるのよ。お兄ちゃん、雪ちゃんに話しかけてあげてね」
「話しかけたって、返事しないじゃん。寝てばっかで」
「そのうち、こっちを目で追いかけてくるようになるよ。笑うようにもなるから」
 周囲を見回しても、さすがに九歳も離れた弟や妹がいるという友達はいなかったが、同じクラスに、五つ下の、しかも双子の弟がいるという男の子がいた。彼に言わせると、赤ん坊ほど「邪魔くさい」ものはないという。
「今はまだいいけどよ、そのうち離乳食とか食べるようになるとき、クサくってしょうがないぜ、おしめが」
 そんな知恵を授けられると、ますます赤ん坊とは退屈なうえ面倒なものに思えてくる。だいたい、妹というのもツマラナイ。弟ならいっしょに遊べるようになるのに。なんであんなのが生まれてきたんだろうと、当時の一樹はけっこう真面目に考えた。
 雪江を産《う》んだころ、母はいったん勤めを辞めていたので、一日中家にいた。一樹が学校から帰ってくると、きまって「雪ちゃんの顔を見て、ただいまって言っておいで」と言った。育児に疲れ気味の母はいくぶん機嫌をそこねやすくなっていたので、たいがいの場合、彼は素直に言われたとおりにした。それに、もちろん父にも母にもこんなことは言えなかったけれど、赤ん坊の発している甘酸っぱいようなお乳の匂いには、なにかとても懐かしい感じがして、それだけ香港旅行社は彼も好きだった。
 でも、いつベビーベッドに近寄っていっても、雪江はすやすや寝ているだけだった。
「ばーか」
 見おろして、小声で言ってみても、やっぱりほの赤い顔をして眠っている。実に、手応えがない。こいつホントに生きてんのかっと、疑いたくなる気がした。
 あとになって、彼がそれを理解できる年頃になってから聞いたところによれば、雪江は未熟児ぎりぎりの体重で生まれ落ち、もしも発育がよくないならば、設備の整った産院へ逆戻りする可能性があったのだという。とりわけおとなしい赤ん坊だったという彼の記憶は、あながち間違ってはいなかったわけだ。  


Posted by 清風伴明月 at 17:24Comments(0)香港仔通渠